ウインドサーフィンKaya  
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Kayaについて
3月11日に発生した東日本大震災の被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災された皆さまの少しでもお役に立てますよう、ささやかながら誠心誠意気持ちを込めて、できるところから取り組んで参ります。皆さまの安全と、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。(Kaya土屋厚)
Kayaメンバー・スクール生の皆さまへ【お願い】
 Kaya艇庫内に『義捐金募集箱』を設置しました。
 東日本大震災の被災者の皆さまに少しでもお役に立てますよう、
 私たちができる支援を一緒にしていきましょう。(Kaya土屋厚)
 Kayaの元々の語源は、アイヌ語で「帆 (セイル)」という意味があります。またインドネシアではKayaとは豊かになるという意味があります。ウインドサーフィンを通じて豊かな人生を築けるようにという願いでKayaと名付けました。金銭的に裕福というよりも心豊かな人生になるようにという願いを込めています。
 Windsurfing Kayaは、単に艇庫、クラブハウス、スクールを提供するだけの場ではありません。ウインドサーフィンをはじめとして、ボート遊び、釣り、波乗り等、それぞれのライフスタイルに応じて、いつまでも海とつながり続けられる場を提供したいと思っています。そうやって家族のように一生涯付き合っていける仲間の輪をどんどん広げたいと思っています。
by 土屋厚
Kaya Style
Kaya X'mas Partyにて kaya X'mas Partyにて
釣果 Himeno Cup 学連インカレ
土屋厚Profile  拓殖大学入学後ウインドサーフィンを始める。大学1年のインカレ新人戦では個人総合2位。翌年の大学2年のインカレでは団体優勝4連覇に貢献した。また大学3年より伝統の拓大主将を務め、インカレでは団体優勝5連覇の偉業を果たした。
 学生時代より、世界選手権に派遣されるなど海外での大会にも積極的に参加した。国内では全日本ウインドサーファクラス選手権他で優勝を飾る。
 昭和59年には、国内で行われたロサンゼルスオリンピックへの日本代表の座を賭けた最終選考レースに出場。惜しくも3位となったが、その後のロサンゼルスオリンピックのエキビジション選考レースに出場し、見事総合優勝を遂げ、ロサンゼルスオリンピック(エキビビション)への出場を射止めた。昭和59年8月にロサンゼルスサンタバーバラで行われたロサンゼルスオリンピックでは、エキビジション・ロングディスタンスレースに出場し3位。
 その後マルイと契約。昭和60年にはプロに転向し、サムタイムワールドカップ、マルイオニールインビテーション等のワールドクラスへの大会に出場。国内ではジャパンサーキット等に参戦。1985年度(昭和60年)ジャパンプロ年間ランキング10位。昭和63年年のマルイオニールインビテーションへの出場を最後に現役プロを引退。後進の指導に回る。
 逗子WindForceにて明治大学等の選手指導を行い、平成4年、平成6年、平成9年には、明治大学をインカレ団体総合チャンプに導いた。毎年5月3日に開催するHIMENO CUPは、伊勢湾カップの予選会として日本最高レベルの選手が集う全国屈指の大会に育てた。平成15年秋に、現在の場所に移し艇庫Kayaをオープン。現在、拓殖大学の現役監督を務める。
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